書籍・雑誌

技を伝え、人を育てる

51q1luam2el_2いま「棟梁」という本を読んでいる。

 小川三夫さんという宮大工の棟梁の方が書かれた本だが、自らの人生体験を通して書かれた内容だけに説得力ある示唆が多くある。 今時の若者が読むと目からウロコが落ちること請け合いと思えるのだが、中にはこうした古めいた世界に軽蔑の目を向ける者もいるかも知れない。それはそれでいいだろうが、人生は人それぞれと思うがここに書かれている人たちの生き様には何事にも動じない強さがある。それは体験で身につけた本物の強さなのだろう。

 「言葉では無理や」という内容がある。三百代言という言葉もあるが、政治の世界にも言葉で民衆を言い含める能力が優先され、それに長けた人物が当選してくると言ったら言い過ぎだろうが必要な能力ではある。職人の世界では技がものを言う。それも愚直なほどの真面目な職人が求められるとしている。

「器用は損や」という言葉で器用な人は器用に溺れ易いと説いている。とくに今の時代は効率優先を取る時代となり、こうした古めかしい徒弟制度の世界などは敬遠される。何でも要領よくこなせて、物覚えが速くて器用な人間が重宝される。しかし、宮大工の世界では長い年月の結果が求められる。そこには「一生懸命に勝るものなし」という言葉と同時に未来永劫に自分の成果が残る仕事が求められるのだ。

 「育てるのと育つのは違う」とも説いている。育てることは大変なことであり、導き方によってはどこに行ってしまうか分からない人の人生がかかっている。それにしても親が育てることにどこまで理解できているか?育つためには環境と機会を用意してやればよい。大半の親がやっていることは、これではないのだろうか。塾に行かせたり、稽古事をさせたりして事足れりとしている親が多いようだ。学校もそうだ、パソコンを教えたり英語教育などを小学校から導入したりしている。それがまた子どもたちの犯罪行為を誘発する源になっている。英語教育をしてスキルは出来るかも知れないが、それを武器に国際社会に出て行き自国の文化を問われて何一つ答えられない子どもが出来たりする。

 棟梁とは、組織や仕事を束ねる中心人物を指す、そこには自分を中心に幅広い影響力が及ぶ重要な職責を表してもいる。「任せる能力」が必要とされるのがそこなのだ。それには責任ある判断力が要求される。そのためには未熟なうちに任せて、信頼感に応えさせることだそうだ。任せる方もこれは物になる人物かどうかの見極めが必要になる。

 「単純バカがいい」とも言っている。いま北京オリンピックがたけなわであるがあの柔道で、まさかあの選手がと思われる選手が負けたりする。そこには行動する前にいろいろと考えてしまうから、行動できなくなって負けて行く。先ず行動ありきで、やってみることが大切で、やりながら軌道修正すればよいと説いている。例えば、日本のお家芸の柔道などでももっとも有望視されている選手が負けて行くのは、こうした行動の前にある雑念とも思える諸々の考えが邪魔して身体が反応しなくなっているのだろう。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目からウロコの見方

4119  最近、たまたま読んだ本なのだが、表題と中身が思ったより違っていたのに驚くと同時に難しさと話題性がマッチして比較的読みやすい内容に感心した。

 その中のいくつかを抜粋しながら紹介したいと思いここに書いたのだが、この著者の先生にすっかりファンになりそうだ。

 ご当人は、神戸女学院大学の文学部の先生であり、内田 樹(うちだ・たつる)という方でblogもやっていらっしゃる。最近出された話題の書は、「こんな日本でよかったね」(バジリコ社)がある。

 さて、ここに紹介した本は「街場のアメリカ論」(NTT出版)なのだが、アメリカについてじつに様々な観点から観察されたことが書かれていて、日本とアメリカの相関関係を見る上で大変参考になるし、むしろ政治家のみなさんには是非読んでもらいたい位の内容が網羅されているように思える。

 その1. アメリカの有権者は、表面的なポピュラリティに惑わされて適性を欠いた統治者を選んでしまう彼ら自身の「愚かさ」を勘定に入れてその統治システムを構築しているのです。・・・統治についての問題は、いかにして賢明で有徳な政治家に統治を託すかではなく、いかにして愚鈍で無能な統治者が社会にもたらすネガティブな効果を最小化するかに焦点化されているのです。

 あれだけの異民族が混在するアメリカという国でありながら、何と利口な選択ではありませんか。ここには制度的に「権力の集中」が排除されているシステムが出来ていることを紹介しています。アメリカでは、公務員は一定期間在職すると必ず権力を濫用して私利私欲を図るようになるということをはじめから「織り込み済み」だということです。そのような「性悪説」の上に官僚制度が作られているのです。と説いている。

 その2. 次に紹介するのは、来年から実施される「裁判員制度」について書かれています。・・・どうして急にこんな制度がばたばたと導入されることになったのか。・・・制度改革というのは制度がうまくいっていないときにしか必要ないものですから。でも、日本の官僚制度は決して制度改革の理由を告げません。・・・「欧米で行なわれている制度であるのだから、日本に導入するのは当然である。」というのは日本社会の各所で日々口にされる決め台詞です。・・・なるほど。平たく言えば、裁判官がバカになったので、市民的常識で補正しようということですね。でも、裁判官だけが選択的にバカになり、一般市民はその幣を免れているというご判断はどなたがされたんでしょう。

 アメリカの司法制度をモデルにして、陪審員制度の導入や弁護士の数を増やすことが果たしてそんなにいいことなんでしょうか?日本の弁護士の数は約2万人、アメリカはその50倍の百万人の弁護士がいます。・・・訴訟が多くなる最大の理由はやはり弁護士の数が多いということでしょう。訴訟事例の一つにこういう例があります。「ニュー・メキシコ州アルバカーキに住むリーベックさんは、一杯49セントのコーヒーをドライブスルーの窓口で買い、クリームと砂糖を入れるためコーヒーを股にはさんでふたを取ろうとしたところひっくり返し、太ももからお尻にかけて火傷を負った。」これについてリーベックさんは治療費など800万ドルをマクドナルドに請求し、裁判となり陪審員は全員一致でマクドナルドを有罪として評決では賠償額290万ドルを命じた。

 こういう事例を見るにつけ、やがて日本にも無理な訴訟社会が到来するのが目に見えるようです。ぎすぎすしたこういう社会を選択するのか、これまでの「和を以って尊し」とする日本型社会を存続するのか岐路に立たされている時代に入りつつあるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読書ランキングについて

 今日、NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、老舗出版社が倒産しているとの報道がされていた。不景気風はこんなところにもと思って、見ていると原因は別のところにあるらしい事が分かった。最近の読者層は、何でも売れ筋で本を購入しているそうなのだ。従ってその範疇に入れない本は永遠に売れ残ることになる。

何やら政治の世界の支持率競争と似てないでもない。

政治の支持率は国民に対する政策が良いか、悪いかではっきりした判断が作用するが、本の売れ筋とは選ぶ個人の趣味趣向によりまちまちであり、時の話題性もあるかも知れないが、これとて本を買おうとする人たちがみんなそれを求めているかと言えば、そうとも言いかねる。それが右向け右と同じ本を求める傾向と言うのは何だろう?

 本好きな自分から言わせてもらうと、一言で言えば「本を読む人がいなくなった」としか思えない。それでは何故本を買うのか?若い人たちに多いそうだが、友達同士の話題性に必要だから止むを得ず買っていると言うのが真相ではなかろうか。

 何やら最近の世相を反映しているのが読書の世界にも、と言うより本を読まなくなったことで物事を深く思考することなく判断して、長いものには巻かれろ式の人間が増えつつあるのではなかろうかと大変心配になる。独断と偏見で言わせてもらうと、これはテレビの影響が大で、付け足しで話題性と流行性という味付けを売れ筋本でしているのではと思ってしまう。テレビで政治の世界をお笑い同様に面白おかしくして、わかりやすくしているつもりかも知れないが、自分たちにもっとも影響してくる生活上の問題に真剣に向き合おうとしないで済ませてしまい生活状態が日々劣化して行くのに気が付かない。

 そうしたテレビ番組に出ている政治家たちも、自分たちの支持者と同席しているつもりになって、その場限りの迎合的意見でお茶を濁しているに過ぎない。

 この読書ランキングなる売れ筋傾向によって、老舗の出版社がつぶれているそうだ。こうした出版社ほどこれまで真面目に出版本の内容を精査して頑張って来たに違いないと思う。何でも売れればよいと言うのは、売れなければまた困るけれども昨今の風潮の金になれば良いと言うのとはちょっと違う。そこには出版社としての読者に対するある種のポリシィがあると思う。ある種の社会性とでも言おうか、何らかの世の中に対する影響力の行使を計算した金だけではないものがあったはずだ。

 金まみれに汚染された社会が人間の劣化にも及んで来ているのを感じる度に、あらゆる場面でこうした現象が目につくようになったと思える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この日本的なるもの

 裏通りのひっそりとした町の片隅にある自動販売機、そこを買おうか買うまいかと辺りを気にしながら行ったり来たりしている若い男の姿がと言うと、何やらミステリーを思わせる出だしだが、じつはこの男が買おうとしているのは「エロ本」なのだ。新聞を読んでいたらこんな面白い記事が出ていた。

各地方自治体には、青少年育成条例なるものがある。そこには「未成年者に対しては、有害と思われる図書を販売してはならない」とあるはずだ。

しかし、青少年が興味関心を示そうな俗にエロ本と呼ばれるものが自動販売機に入れられて売られている。
それでもそれは簡単に買える仕組みにはなってはいない。何故ならば子供でも簡単に買えるようにしてはならないと売る側に禁じているからだ。そこで最近はこんな方法で販売されているらしい。

この販売機の周りに超小型カメラが設置されていて、別室でこの販売機でこれらの本を買おうとする人たちを密かに監視しているというのだ。この無人の販売所には「18歳未満は立ち入り禁止」「新作続々入荷」などの看板もあるという。

別室のセンターでは、モニターを見て「18歳未満かどうか」を判定して、OKとなれば商品がよく見えるようにして「どうぞお買い求めください」と手にすることが出来るようにしてあるそうだ。


まったくもって不思議なこの販売方法、こんなことをして売るなら人を配置した本屋さんの一角で売ればよいものをと思うのだが、それでは買う方の心理が邪魔して売れないそうだ。

この装置を巡っては裁判沙汰があったそうだ。
これは明らかに自動販売機による有害図書の販売であり、条例違反として取り締まりの対象になるとこれまで4人が起訴されて有罪、うち2人がまだ抗争中とのことである。

この販売で争点となったのは、これは自販機ではなく、モニターの販売員が判断して販売しているから「人動販売機」となるそうだ。学識者はこのような理屈で、販売側の行為まで規制するのは営業の自由を侵害する憲法違反の問題と主張しているそうだ。

ここまでして、細かい配慮と法律の狭間を考えた日本の手法には頭が下がる思いもするが、諸外国から見るとどう思うのか非効率な「まか不思議な販売」と思うか、聞いてみたい興味ある問題でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)