心と体

乱れ飛ぶ座布団が・・・

400pxkunisada_sumo_triptychon_c1860  大相撲で、座布団が土俵へ投げ込まれる場面は何度も目にしているはずだが、こういう土俵に限ってまた面白い相撲が多いとも云える。上位力士が負ける番狂わせ、横綱が負けた時などで両国の国技館館内は騒然として座布団が乱れ飛ぶ。

 座布団だから、けが人は出てはいないが館内放送では「危ないから座布団は投げないでください」と呼びかけているし、放送などそっち除けで危険な座布団投げが続いているのが現状だ。ところで、この習慣は何時からなのか?

新聞によると、江戸時代からあったそうで、当時はひいきの力士が勝つと観客は着ている羽織を投げ込んだそうだ。それが今日では尻に敷いている身近な座布団を投げ込むようになったらしい。

 何度注意していても、直らないこうした習慣に日本相撲協会では、九州場所担当部長の出羽海理事(元関脇鷲羽山)が「事故防止のために投げられない座布団にする」との方針を打ち出したとあった。今年からマス席が広くなるそうだが、それに合わせて新型座布団に切り替えるとのことである。

 九州場所は福岡国際スポーツセンターで行なわれる。ここのマス席は4人席で、これまでの4枚の座布団が2枚に変更され、それが紐で結ばれ簡単に動かせない仕組みにされると言うのだ。具体的には、縦55センチ、横125センチの長方形型の2人用座布団にして前後に並べた2枚を紐で結ぶと言うもの。

 出羽海理事に言わせると、「どんな座布団なら投げられないかと考えたら、こうした形に辿りついた。これだと4人のうち1人でも座っていれば投げることは出来ません。」と自信たっぷりに語っていたとの記事である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本当の解決策がないままに

 かってクレイマー・クレイマーという映画もあったが、最近はクレイマー現象なるものがあちらこちらで発生している。

 民主主義とは言いながら、意見が百家交錯するせいか表に出てくるだけで真の解決へと導く方向へは一向に進まない。そういう現象を取り上げた読売新聞の記事が目に留まった。こうした現象を改善しようとする当事者が見つからない。学校では先生と保護者の間でいろいろなクレイムを投げかける保護者が急増して、その内容が過激になるにつれてモンスター・ペアレントとも呼ばれるクレイマーさえ出現している。病院では患者のクレイムが訴訟まで発展することを恐れて及び腰になり、救急患者を受け付けない病院も出ていると言う。さらに電車の駅では、マナーを注意しただけで駅員を殴ったり蹴ったりの暴力を振るうお客が後を絶たないとも報告されている。まさにあらゆるところで、自己主張が行われ、その中身は正当性を通り越した首を傾げざるを得ないものが多い。

 この記事の内容は、メディアの犠牲とも言えるコムスンの廃業問題を取り上げていた。昨年末発覚した介護報酬の不正請求問題でメディアでも大きく取り上げられたコムスンだが、コムスンの事業は利用者約7万人、全国に点在する事業所は1,600もあったそうだ。その中のたった8事業所の不正が発覚して、あのような大きなバッシングを受けたため廃業に追い込まれ、利用者ともども大変な思いをせざるを得なくなった。勿論、不正請求自体は違法行為であり、糾弾されるべきであろうがその原因になった背景には介護保険制度の未熟さがあるとの指摘がある。せっかくここまで全国展開で大きくした介護システムを一連のマスメディア主導で簡単に壊してしまった。これは冷静になって考えれば大きな損失と言える。

 政府は最近になって、フィリピンからの介護支援出稼ぎ者を受け入れると発表した。それはそれで外交上はよい点もあるかもしれない。しかし、その前に全国の介護施設で日夜を分かたず働いている施設員の実情を調査したことがあるのだろうか?彼らは重労働の割りに大変に安い報酬で働いている。そのため辞めて行く介護員も多くいる。そこに不正が生まれ、利用者にも大きな不便が生じているのが現状である。根本的な解決策を講じないままに場当たり的に処置をしていくだけでは、いつまで経っても改善できないと言える。そこに関わる公的機関は、持てる権限をもっと真の解決策に結びつく方向で行使してもらいたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

渇、精神を鍛え直せ!

P1010213 それにしても最近の日本人はどうしたものか?

大学も金を稼いで学問は二の次にと経済、経済で尺度が図られている。

これじゃうかうかしておられない学生生活になりそうだ。

少子化で受験戦争こそ無くなって来たけれど、本を読む学生がじつに少なくなってきたようだ。大学に入ってしまえば、一丁上がりとばかり遊びに精を出し実学ばかりには興味を示すものの基礎的な教養には無頓着な風潮だ。いま高級官僚の不祥事が連鎖のごとく生まれているのも、あながち関係ないとは言えないだろう。勉学だけは自己の立場もあり、ひと通りのレッテルを貼ってはいても中身がないから己の置かれた地位とかけ離れた行動を平気でするようになる。あの吉兆という老舗の偽装問題も然りだ。こんな事件が発覚するまでは、おそらく老舗然としてうちは一見さんは相手にしてません格が違いますと言う姿勢であったと思う。お客も似たような人たちが利用していただろう。世間の庶民とは違うのよと言うお客が自慢たらしく利用していた店だと想像される。 

 それがどうだ、次々と化けの皮を剥がされているのが昨今の世相であり、これでは物事の基準をどこに求めてよいのか分からなくなる。一時期中国の偽ブランド品が騒がれたりしたが、他国のことを批判できるどころではない。国内の有名商品がまったく信用されない事件が次から次へと出て来るようじゃあきれるばかりだ。

 信用、信頼という言葉が大きく揺らいでいる。国の信頼が損なわれる事だらけだから、末端は俺たちもとばかり続くのだとも思える。子どもから大人までの心と体のバランスが崩れて、大人と子どもの境界線が示せなくなって来ている状況を正さないと大変だ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)