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2009年1月

いま江戸東京博物館では

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大名駕籠

  昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」は大変な人気で視聴率は好調のうちに終了した。

いま江戸東京博物館では、それを記念する意味での特別展が開催されている。1月25日までが「徳川将軍家ゆかりの女性」という企画展、もう一つが特別展の「珠玉の輿」で、2月1日までの開催になる。その中の目玉は、なんと言っても米スミソニアン協会所蔵の篤姫所用の女乗物と同博物館の本寿院所用の展示だ。篤姫と本寿院の二人の女性、NHK大河ドラマで一躍有名になった歴史上の人物だが、二人は13代将軍徳川家定の正室と実母の関係になり義理の母娘だ。

 江戸の町を行列が進む時、その中心になるのは大名が乗る駕籠や女乗物、輿などの乗物だ。こうした乗物が自らの権威を誇示する道具にもなっている。

 江戸東京博物館の学芸員斉藤慎一氏によると、篤姫と本寿院の乗る女乗物には随所に類似点があることでは、同じ時代に同じ工房で作られたと理解されるが比較して行くと微妙な仕様差が見られると解説している。金具や内装画に差異があり、篤姫乗物の方がグレードが高いそうだ。篤姫のものには徳川家の葵の紋や近衛家の牡丹紋が蒔絵にされているが、本寿院のそれには葵紋がないと言われている。こうした差は偶然ではなく、何らかの差異を表していると考えるべきだと言う。つまり将軍の正室と側室の差ではなかろうかと推察される。酷似しながらもこうした微妙な差がある女乗物が同時代にあったのは、江戸時代という背景にその社会的な背景が隠されていたのではと推測されている。

 江戸幕府は、徳川家康に始まったが家康と言えども乗物を自由に選べた訳ではなかった。乗物の利用が認められたのは、豊臣政権下に五大老の1人に選ばれたことで法令で利用が認められた。当時は騎馬が基本であった時代で、乗物の利用は特別なものだった。また、征夷大将軍になった時には朝廷から牛車の利用が認可された。こうした利用の認可は、政治的な地位に関係していて、その根拠となった法令が「武家諸法度」だったと言われている。実際には地位、立場によってもっと細部にわたって仕様に差が設けられていたとも言われている。

 女性の場合にも江戸時代の書籍にはランクが記載されているそうだ。<総黒漆塗に金蒔絵のあるものが最上のランク>とされ、将軍家や大国の大名家の夫人が使用したと記されているそうだ。小国の大名家や高禄の旗本家の場合は、蒔絵ではなくビロード貼りでこれまた所有者の地位が表現されていた。さらに上位に位置する女乗物もあることが分かり、その外装は黒塗りではなく、金銀などの粉が混ぜられた蒔絵の梨子地のものとされている。類例のものは現在では4挺しか知られていないそうだ。

 江戸時代には乗物は自由に選べるものではなく、極めて厳格な規定の下で実に細やかな差を意識して作られた社会的な背景を持ち、それは江戸時代という身分制度社会が生み出した産物でもあったと言われている。

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インテリジェンスの草分け「007」

190pxsean_connery_1980_crop 初代ジェームス・ボンド役のショーン・コネリー

 生誕100年の話題が続いているが、もう一つの話題としてスパイ小説007シリーズで知られる小説家、英国のイアン・フレミング氏(1908~64)も生誕100年を迎えている。

独協大学教授・国際政治学者の竹田いさみ氏によると、今でも多くのファンを魅了して止まず大半が映画化されているフレミングの作品の中で「ロシアより愛をこめて」は故ケネディ米大統領の愛読書に選ばれたことがそうだ。

 007シリーズの独特の作風は、作者であるフレミングの生い立ちに拠って作られたと言われている。祖父は米国の鉄道に投資して成功した投資家、父は保守党議員で裕福な家庭環境に育った。そのため青年時代から英国の上流階級に接点を持ち、名門のイートンスクールを経て陸軍士官学校へと進んだ。しかし、その後は入隊せず、スイスとドイツに遊学し、ロイター通信の記者としてモスクワ取材を通じてスターリン体制の恐怖政治を垣間見ることとなり、これが彼のロシア観となってあの作品にも表れた。

 第2次世界大戦中は英海軍情報部の将校に抜擢され、対独情報戦に参加したことがきっかけで作家としての道を歩み始めた。近く公開される「慰めの報酬」という最新作の映画では、カリブ海の島国ハイチや南米のボリビアが舞台で、水や天然資源を支配して世界市場を撹乱する”闇の組織”との戦いがテーマになっているが、彼自身大戦中にはカリブ海のジャマイカ島に魅せられて、戦後はそこに別荘を建てて執筆活動の拠点とした。

 1952年から64年まで年1作のペースで、シリーズを書き上げていったが作品を見るとフレミングの実人生の縮図でもある。その底流には、彼のインテリジェンス(情報収集・諜報)に対する深い思い入れが貫かれていて、インテリジェンスは戦争を回避させるだけでなく、戦争を短期に終わらせ極小化させる有力な手段であることが分かる。とくにM I 6に代表される英国インテリジェンスの歴史は、16世紀のエリザベス女王1世の時代に大国スペインの無敵艦隊を破った快挙にも現れている。当時、女王の側近だったウォルシンガムが、英国国内と欧州大陸に情報網を張り巡らせ、敵の動向を逐次追うことで開戦のタイミングを正確に読むことが出来たと言われている。それは女王の肖像画の中にも読み取れる身にまとったガウンに施された”目と耳の刺繍”に現れた女王のインテリジェンスへの並々ならぬ関心度が物語ってもいる。

 007の”00”とは何ぞや、単なる数字のゼロではないそうだ。

 これは元来、女王への極秘文書に実際に使われていた特殊な記号で、女王の両目、すなわちアイズを表すそうで、つまり、「女王陛下お一人がお読みください」という意味が込められているとの事である。映画にもあった「ユア・アイズ・オンリー」なる言葉は、英国で実際に使われてきた「極秘」を指定する文言である。

 インテリジェンス無くして国家の生存や戦略はありえない。フレミングの作品には、そんな彼の強いメッセージが込められているが、ひるがえって日本ではどうなのだろうか。平和な世界に埋没している戦後の日本人には、理解できない人たちばかりかも知れない。

 今年は英国の作家、イアン・フレミングの生誕100年を記念して、ロンドンの帝国戦争博物館では特別展が開かれているとのことである。

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生誕100年に見る人気作家の点と線

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太宰治(左)と北九州市立松本清張記念館

 過日、読売新聞に掲載されていた「太宰・清張をつなぐ点と線」という記事が目につき、興味を感じて書いてみた。

昭和も遠くなりの時代に入って来たが、その時代を代表する人気作家として太宰治と松本清張がいる。生まれは二人とも同年代だが、太宰の方はあの有名な入水心中事件で清張より44年前に亡くなっている。その二人が今年そろって生誕100周年を迎えるのだ。

二人の生い立ちも学歴も対照的で、太宰は大地主の家に生まれて東京帝国大学を除籍になり、清張は高等小学校を卒業してすぐ働き始めた。太宰の方は、代表作「人間失格」に記してあるように<自分には人間の生活というものが、見当つかないのです>と述べている。それに対して、清張は就職し始めには<生活のために、かねて夢と抱いていた文学を捨てた>と述べていた。しかし、後に朝日新聞西部本社の広告部に勤務してから、<小説も文学も私には一切無縁だった。会社で太宰治を語る者がいたが、私はこの情死で世間的に有名になった作家の作品を何一つ読んでいなかった。後になって太宰の小説で感心したのは「ヴィヨンの妻」と「津軽」であった>と書いているそうだ。

松本清張がデビューしたのは、太宰が死んでから2年後で懸賞に入選した「西郷札」という小説である。以後は国民作家としての道を歩み、「砂の器」「点と線」など全38点累計4337万部で絶大な人気を博した。それと同じく太宰も「人間失格」が新潮文庫で615万部、「斜陽」は356万部など全17点で累計2041万部の売れ行きだそうである。(昨年11月末現在)

1月11日から北九州市にある松本清張記念館では、「1909年生まれの作家たちー大岡昇平・中島敦・太宰治・埴谷雄高・松本清張」展が開催されている。人気作家の大集合展だけに多くの人の入場が期待されているそうだ。

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