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2008年8月

日本人の再生

Thumbnail 2008082440157161n  読売新聞より                いまの日本人を凌ぐ日本人的人たちが現れた。非常に喜ばしいことだが、日本人そのものとしては複雑な思いに駆られる現象でもある。ここで紹介したい二人は、日本で活躍している演歌歌手のジェロさんと今度の北京マラソンで金メダルに輝いた男子マラソン・ケニア代表のワンジル選手の二人だ。

 ジェロさんは、これまでマスコミで紹介されてきているが、彼のお祖母ちゃんが日本人でお祖母ちゃん子で育ってきて日本人の良いところばかり身につけている。特にあの礼儀正しいしぐさと控えめな態度は日本人ながら惚れ惚れする。歌の上手さは、並み居る日本人歌手を凌ぐパフォーマンスであり、これまた聴いていて惚れ惚れするのは万人が認めるところだろう。

 もう一人の逸材は、恥ずかしいかな今度のオリンピックで初めて知ったのだがケニヤ出身のサムエル・ワンジル選手だ。テレビで優勝のインタビューに突然日本語で答えていたのに驚いた。何故、何故日本語を話せるケニア人なのだと。

 その後の説明で、すでに6年前に日本の仙台育英高校に留学していて、走る技術を教わっていたとの事だった。成る程もう既に日本との接点があったから、こんなに日本語が上手だったのだ。それにしても、あの暑い中をあのスピードで優勝するとはすごいと思った。オリンピックレコードの優勝とのことである。

インタビューで応えていた内容に「我慢、我慢を日本人の渡辺先生に教わりました」とあったが、なんだか日本人のお株を取られた答えではないかとの思いもする。

 いまや日本人社会は、かっての日本人の精神的支柱がガタガタと壊れつつある。

また、それを良しとする風潮も若者の間にあるようにも思える。グローバル化の波に洗われて、豊かさの中にひ弱さを取り込んで育った若者たちの多くが、これまでの日本人とは違うように思えるのは多くのお年寄りの感想ではなかろうか。でも、この二人は若者ながら古いと言われるかも知れないが、日本人の精神的支柱とも言える良さばかりを吸収して成功している。

 こうした流れを見ていると、これこそ日本にとって本物のグローバル化ではないのかとの思いがする一方、あのお家芸であるはずの柔道の凋落ぶりには寂しい気がする。

 オリンピックが政治の国威発揚の場として見られるようになって、いろいろ批判は多いが世界各国でメダルを争っている以上は仕方ないことだろう。問題はそこに不明瞭なルールの変更や参加選手の意向を無視した国の介入が強くなり過ぎることだ。

今度の北京オリンピックには如実にそれが感じられた。たしかに立派な大会ではあったが、表には出ない多くの国民の犠牲があったのではと想像される。

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物価高を巡る2強の動き

51617y1tkpl 原油高に始まったいろいろな物価の値上げ、国内の小売業界にも消費の低迷が波及して売り上げの伸びに苦しんでいる。

 中でも注目されているのが、流通業界の二大大手スーパーのセブン&アイとイオンの動向である。戦略の練り直しにより現状打開を模索して、少しでも売り上げの向上を図ろうとしている。その中で両社に共通しているのがプライベートブランド(PB)による安売り勝負での売り上げ増確保である。

 しかし、そこにも両社の考え方の違いがあるようだ。

 とくに生活必需品の値上げが、売り上げの足を引っ張っている点に着目して安さで勝負するためのPBは欠かせない商品構成と言える。その中でイオンのPB「トップバリュ」は、食料品を中心に約5000種類、今年の3~5月の売上高では前年同期比で32%増となっている。ヨーカドーの「セブンプレミアム」も約400種類、この1年間で当初の計画を60%上回る売り上げを記録している。

 PBに対する両社の大きな考え方の違いとは次のようなものだ。

 セブンプレミアムは全商品に、製造を委託している会社名を明記しているのに対してトップバリュは会社名を表示していない。その理由は、セブン&アイが「品質に責任を持つのは当然であるが、消費者はどこの誰が作ったか知りたいはずだ」と言う。もう一方のイオンは、「品質には販売者が責任を持つべきで、小売業はメーカーの販売代理人ではなく消費者の代理人であるべきだ」との論理で農薬検査なども徹底して行なっている。

 また、PBの品揃えについては、セブン&アイが「1年半後の商品数を現在の3倍の1300種類とし、商品全体の20%に止めて消費者の選択肢を狭めないようにする」のに対し、イオンは「PB商品数を6000種類まで増やし、将来は食品の半分がPBになってもよい」としている。イオンの方がよりPB重視を鮮明にしていると言える。

 そうした中で、両社とも大手メーカー品を大幅値下げして売るディスカウント店舗を計画しており、スーパーとしての使命感とも言える「より安く、良い品を求める消費者心理の獲得努力」に応えようとしている。現在の日本の小売業界の巨大二大グループの行方にはまだまだ目が離せない戦略構想があるようだ。

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技を伝え、人を育てる

51q1luam2el_2いま「棟梁」という本を読んでいる。

 小川三夫さんという宮大工の棟梁の方が書かれた本だが、自らの人生体験を通して書かれた内容だけに説得力ある示唆が多くある。 今時の若者が読むと目からウロコが落ちること請け合いと思えるのだが、中にはこうした古めいた世界に軽蔑の目を向ける者もいるかも知れない。それはそれでいいだろうが、人生は人それぞれと思うがここに書かれている人たちの生き様には何事にも動じない強さがある。それは体験で身につけた本物の強さなのだろう。

 「言葉では無理や」という内容がある。三百代言という言葉もあるが、政治の世界にも言葉で民衆を言い含める能力が優先され、それに長けた人物が当選してくると言ったら言い過ぎだろうが必要な能力ではある。職人の世界では技がものを言う。それも愚直なほどの真面目な職人が求められるとしている。

「器用は損や」という言葉で器用な人は器用に溺れ易いと説いている。とくに今の時代は効率優先を取る時代となり、こうした古めかしい徒弟制度の世界などは敬遠される。何でも要領よくこなせて、物覚えが速くて器用な人間が重宝される。しかし、宮大工の世界では長い年月の結果が求められる。そこには「一生懸命に勝るものなし」という言葉と同時に未来永劫に自分の成果が残る仕事が求められるのだ。

 「育てるのと育つのは違う」とも説いている。育てることは大変なことであり、導き方によってはどこに行ってしまうか分からない人の人生がかかっている。それにしても親が育てることにどこまで理解できているか?育つためには環境と機会を用意してやればよい。大半の親がやっていることは、これではないのだろうか。塾に行かせたり、稽古事をさせたりして事足れりとしている親が多いようだ。学校もそうだ、パソコンを教えたり英語教育などを小学校から導入したりしている。それがまた子どもたちの犯罪行為を誘発する源になっている。英語教育をしてスキルは出来るかも知れないが、それを武器に国際社会に出て行き自国の文化を問われて何一つ答えられない子どもが出来たりする。

 棟梁とは、組織や仕事を束ねる中心人物を指す、そこには自分を中心に幅広い影響力が及ぶ重要な職責を表してもいる。「任せる能力」が必要とされるのがそこなのだ。それには責任ある判断力が要求される。そのためには未熟なうちに任せて、信頼感に応えさせることだそうだ。任せる方もこれは物になる人物かどうかの見極めが必要になる。

 「単純バカがいい」とも言っている。いま北京オリンピックがたけなわであるがあの柔道で、まさかあの選手がと思われる選手が負けたりする。そこには行動する前にいろいろと考えてしまうから、行動できなくなって負けて行く。先ず行動ありきで、やってみることが大切で、やりながら軌道修正すればよいと説いている。例えば、日本のお家芸の柔道などでももっとも有望視されている選手が負けて行くのは、こうした行動の前にある雑念とも思える諸々の考えが邪魔して身体が反応しなくなっているのだろう。

 

 

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目からウロコの見方

4119  最近、たまたま読んだ本なのだが、表題と中身が思ったより違っていたのに驚くと同時に難しさと話題性がマッチして比較的読みやすい内容に感心した。

 その中のいくつかを抜粋しながら紹介したいと思いここに書いたのだが、この著者の先生にすっかりファンになりそうだ。

 ご当人は、神戸女学院大学の文学部の先生であり、内田 樹(うちだ・たつる)という方でblogもやっていらっしゃる。最近出された話題の書は、「こんな日本でよかったね」(バジリコ社)がある。

 さて、ここに紹介した本は「街場のアメリカ論」(NTT出版)なのだが、アメリカについてじつに様々な観点から観察されたことが書かれていて、日本とアメリカの相関関係を見る上で大変参考になるし、むしろ政治家のみなさんには是非読んでもらいたい位の内容が網羅されているように思える。

 その1. アメリカの有権者は、表面的なポピュラリティに惑わされて適性を欠いた統治者を選んでしまう彼ら自身の「愚かさ」を勘定に入れてその統治システムを構築しているのです。・・・統治についての問題は、いかにして賢明で有徳な政治家に統治を託すかではなく、いかにして愚鈍で無能な統治者が社会にもたらすネガティブな効果を最小化するかに焦点化されているのです。

 あれだけの異民族が混在するアメリカという国でありながら、何と利口な選択ではありませんか。ここには制度的に「権力の集中」が排除されているシステムが出来ていることを紹介しています。アメリカでは、公務員は一定期間在職すると必ず権力を濫用して私利私欲を図るようになるということをはじめから「織り込み済み」だということです。そのような「性悪説」の上に官僚制度が作られているのです。と説いている。

 その2. 次に紹介するのは、来年から実施される「裁判員制度」について書かれています。・・・どうして急にこんな制度がばたばたと導入されることになったのか。・・・制度改革というのは制度がうまくいっていないときにしか必要ないものですから。でも、日本の官僚制度は決して制度改革の理由を告げません。・・・「欧米で行なわれている制度であるのだから、日本に導入するのは当然である。」というのは日本社会の各所で日々口にされる決め台詞です。・・・なるほど。平たく言えば、裁判官がバカになったので、市民的常識で補正しようということですね。でも、裁判官だけが選択的にバカになり、一般市民はその幣を免れているというご判断はどなたがされたんでしょう。

 アメリカの司法制度をモデルにして、陪審員制度の導入や弁護士の数を増やすことが果たしてそんなにいいことなんでしょうか?日本の弁護士の数は約2万人、アメリカはその50倍の百万人の弁護士がいます。・・・訴訟が多くなる最大の理由はやはり弁護士の数が多いということでしょう。訴訟事例の一つにこういう例があります。「ニュー・メキシコ州アルバカーキに住むリーベックさんは、一杯49セントのコーヒーをドライブスルーの窓口で買い、クリームと砂糖を入れるためコーヒーを股にはさんでふたを取ろうとしたところひっくり返し、太ももからお尻にかけて火傷を負った。」これについてリーベックさんは治療費など800万ドルをマクドナルドに請求し、裁判となり陪審員は全員一致でマクドナルドを有罪として評決では賠償額290万ドルを命じた。

 こういう事例を見るにつけ、やがて日本にも無理な訴訟社会が到来するのが目に見えるようです。ぎすぎすしたこういう社会を選択するのか、これまでの「和を以って尊し」とする日本型社会を存続するのか岐路に立たされている時代に入りつつあるようだ。

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謎の浮世絵師・写楽の作品を発見

210pxtoshusai_sharaku_otani_oniji2c  東洲斎写楽と言えば、江戸時代切っての浮世絵師として知られた人物ではあるが、その作品の所在については謎も多い。

 今日の新聞によると、彼の作品の一部である「肉筆扇面画」が何とギリシャのコルフ島にあるアジア美術館で所蔵されているのが分かったそうだ。写楽の肉筆作品は、極めて少ないところからも謎の多い絵師と言われていた。また、確認されている作品は、ほとんどが役者絵でもある。

 今度発見された直筆画は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を題材にした役者絵で、浮世絵版画の世界から姿を消した直後の作品と見られている。

 扇面画には竹を素材とした中国製の「竹紙」と言われるものを使ったと見られ、署名と花押があるそうだ。真筆と鑑定したのは、小林忠・学習院大教授らの国際学術調査団で、その根拠は①役者の表情の描き方、繊細な彩色がオリジナルな表現を備えている。②通常、浮世絵には描かれない場面を取り上げていて、非常にユニークである。等から判断されたとのことである。

 ところで、何故この作品がギリシャのこの小さな島の美術館にあったのか?

 じつはこのアジア美術館は、19世紀末から20世紀初頭にかけてギリシャの外交官として活躍していたグレゴリオス・マノスという人物がパリやウィーンで買い集めた日本などからの美術・工芸品コレクションを所蔵・展示している美術館でこの作品もマノスの収集品と言われている。近年になって、ここのコレクションが日・英の研究者に知られるようになって7月の下旬に調査団が訪れた。

 これまでもかなり世界に散逸された我が国の文化芸術作品が、こうした形で発見され、改めてその価値が認識されるのは大変結構なことではなかろうか。

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